ダーリン・イン・ザ・フランキス

手抜きのない丁寧な作りがいい。これだけ多くのキャラクターの内面の変化をちゃんと一貫して追うことは、作者一人が全てを負う漫画ならともかく集団制作であるオリジナルアニメでは結構手間のかかる作業のはずだ。
今回はこの作品がどのジャンルにあるかという話。
性的モチーフを初回からこれでもかというくらいぶつけてきたが、実のところジェンダーSFをやる気は感じられない。性の知識を全く持たない段階まで退行してステイメン(おしべ)とピスティル(めしべ)の話からやり直している時点で、2クールで男女の役割観の話やその解体へ到達することはまず無理。
ならば子供達をそのような状況に押し込めたパパ(大人達)との関係性を問う社会SFになる可能性はあるかと言うと、全24話中9話までで社会状況の詳しい説明が全く無いのでこちらも望み薄。
となると結局見た目の通り、十五少年漂流記のような集団ジュヴナイルなのだろう。SFじゃねーじゃん。そう、キルラキルも服装による精神の変容という表面だけカエアンの聖衣から借りて中身は普通のバトル物だった。トリガー(ガイナックス時代も含め)はサブタイトルをSF小説からもじるくらいSF好きな癖に、SFのテーマに正面から取り組むことはしない。まあSFファンが面白いSFを書けるわけではないし、能力や需要も込みでそれが彼等のプロとしての判断なのだろう。
キルラキルやガイナックス時代のグレンラガンは最後まで見た上で、いずれも途中経過を追うのは楽しいが終わり方は平凡だった。ダリフラもきっとそんな感じで最後まで楽しんだ上で「微妙だったな」と結論しそうな予感がする。